5月1日夜〜5月6日夜 5泊5日間 16年('04)
北九州 山巡り
北九州の部=阿蘇山、祖母山、久住山
旅はいいものだ。旅に出て、家を離れ、その場所に来たから思うこと、感じることがある。日常とは違う刺激が心地よい。これまでに山登りの旅を求めてきた訳もこの点にもあったのだろう。
今、私は九越フエリーの甲板にいて、春の陽光を一身に浴びながら、この日常とは違う刺激を全身で感じ、その心地良さを楽しんでいる。船は大海原をまっすぐに進んでいる。遮るものは何一つない。ただ一羽のかもめが船と競うように飛んでいる。
どこにも行けない不自由さは飛行機と同じであるが、船旅の方が広くて、安心感がある。時間を余すほどに使っている、こっちの方がぜいたくなのではないかと思ってしまう。時間に追われている、そんな日常から開放された自由な気分がある。あのかもめは、たぶん、時間になんか追われていない。今の、自分と同じだ。願わくは、この陽光が私に普段得られない能力を与えてくれないものかと、そんな期待が胸に湧く。
阿蘇山(1592m) トップへ戻る
一語一座=溶岩流の流れた跡がそのまま硬く固まった仙酔尾根コースは、頂上目指して一気に登るコースである。ストックは不要。真夏だったら、日除けもなしで、きついだろうなあと想像した。
九越フエリー「レインボー べるとらぶ」の2隻が航行。
5月1日(土)家発夜7:00〜7:30巻IC7:55〜8:55柿崎IC〜9:20直江津港・港内ターミナル発「博多行きシャトルバス」乗車9:30〜9:35乗船10:00出航〜5月2日午後6:30博多港着〜福岡IC〜熊本IC降りる〜買い出し〜仙酔郷登山口着テント泊
5月3日 16年('04) 登山 阿蘇山(10人) <登り2時間、下り2時間>
5:00起床 水は自販機で500ml2本 6:00発喘息の薬を忘れたので、取りに戻ってから登る。
8:10山頂着〜8:26中岳方面へ下山開始〜火口東駅〜仙酔郷着〜かんぽの湯・入浴〜買出し〜16:00五カ所北谷登山口
溶岩流の流れた跡がそのまま硬く固まった仙酔尾根コースを一気に登る(通称バカ尾根)。真夏だったら、日除けもなしで、きついだろうなあと想像した。今回は、その日除け・日射病の心配はなかったが、代わって猛烈な風雨に見舞われた。登山口の仙酔郷・駐車場付近は、春の装いなのにミヤマキリシマの群落を過ぎ、左の写真の中腹付近を過ぎた頃から尾根道は大変な風が襲ってきた。おまけに雨も降ってきた。足元が疲れで弾力を欠いているから、ちょっと気を緩めて、風当たりの強い岩の上にあがったりすると、吹き飛ばされそうになってしまう。よろけて谷底へおっこちそうになったり、ひやっとさせられた。登山口からは元々、頂き付近はガスがかかっていたのであるが・・・。山の天気は場所によっても大きく変わる。
何とか高岳頂上に到着したが、立っているのもままならない状況。頂上の名前の入った表示板をもって、風のない北側斜面に5mほど下っての、記念撮影となった。そこから中岳までの尾根歩きも砂千里浜方面からの強烈な風の中であった。風に吹き飛ばされないよう、足を踏ん張りながらの歩行である。どれほど飛ばされるものかと、ちょっとジャンプを試みるが、やはり無意識に防衛本能が働いて、飛ばされまいと、風方向へのジャンプとなる。臆病者めと、自嘲しながらまた、ジャンプしてみる。やはり、少しでも、飛ばされないようなジャンプになってしまう。
出発前に、1月ほども夢に抱いていた大阿蘇のイメージとは全く違った尾根歩きとなった。阿蘇の東火口駅に着く。風のため、運転中止であった。ここまで降りるとこちらの側は不思議と風が無くなっていたが、ロープウエイは運転中止であった。S氏が言うには「ゴンドラ」はハイヒールで上がった人が、運転中止で歩いて下がらなければならないようなことがないよう慎重なんだとのこと。ここから駐車場までの約2キロほどの登山路は全面コンクリート舗装されていた。
駐車場近くに下ると,キリシマツツジの群落となった。花はようやく4分咲きといった感じである。満開だったらすごいだろうなあと想像しながら、この程度の花にも先ほどまでの風雨の後だっただけに幸せを感じていた。霧島ツツジの写真はクリックしてください。右上も霧島ツツジの群落であるが、まだ咲いていないのである。駐車場に着いた時にはかんかん照りに近い状態であった。靴を脱いだりしているうちにゴンドラも動き出していた。
お昼は「かんぽの宿」を利用した。この日はお昼の「かんぽの宿」から良く飲んだ。ここは日帰り入浴¥500で、バイキング式の昼食であった。結構よい料理で、お薦めコースである。¥1200、それに生ビール2本。結構お高くついた。こっそり持ちこみの地元の焼酎「高岳」(阿蘇の最高峰の名前)をコップで飲んだ。
祖母山の北登山口は、細い山道を10キロ程も入った所であった。今日がこの山の山開きの日で、たくさんのすれ違った。この登山口は自分の山ガイドブック(昭文社編「日本百名山を登る」下巻)には、名前は出ているが、ルートを示す線が引かれていない。それでも、さすが、百名山、大型バスも2、3台入っていた。その中の1台は埼玉県からで、「登山急行」という名がついていた。運転手さんのお話では、国内どこでも出かけているということである。さすがは首都圏、便利だなあと思う。
下山してきた登山者の話では、「この山はダメ、何にも面白味がない、花も、景色も、ルートも、せっかく新潟から来たんなら、隣のオオクレ・大崩山に登ったほうがよい。ハクサンイチゲやシラネアオイなどの花盛りだ。」と言う。「その隣のナントカ山?もいい。ここが一番悪い。」と説明してくれた。
夕方からは、テント内で酒盛り。今日の阿蘇登山が仲間に遅れず、順調に登れたのに気をよくして、「高岳」という焼酎をコップ酒でやった。そうしたら、なんと夜、寝ぼけてしまい、夢を見たまま起きあがり、外に出ようとして、しばらくの間、ここがテント内である現実に気付かず皆様を起こす騒ぎをしてしまった。恥ずかしい内緒話であるが、みんな書きとめることとする。その後は、正気の振りをしてトイレに入って、静かにテントに戻ったらみんなも静かにしていてくれたので、何事もなかったかのようにして眠った。翌朝5時きっかりに目を覚ますまで、夢を見ないで、10時間ほどぐっすり眠った。麻酔から覚めた時のような感覚であった。
2021年 追加
祖母山(1756m) トップへ戻る
一語一座=下山は風穴コースを下った。後で調べたら、Y氏の地図では、廃道になっていた道で、風穴までは、2mほどの大岩の段差が何回も繰り返す悪路であった。その度に団体登山は渋滞を余儀なくされた。
5月4日 16年('04) 登山 祖母山(10人) <登り2時間30分 下り2時間10分>
6:10発〜7:10五合目着〜国観峠〜九合目「あけぼの山荘」休憩〜8時45分頂上着〜11:03下山終了〜国民宿舎入浴〜¥500〜ドライブインうどん〜赤川温泉経由〜買い出し〜17:00牧の戸登山口着テント泊
急に降り出した雨音のせいか、朝5:00、きっかりに目を覚ました。前後不覚の深い眠りで、頭はすっきりして気持ちがよい目覚めであった。それでいて、昨晩の失態はなんとなく覚えていてバツの悪い朝であった。一言お詫びを言って何事もなくすごすこととした。それにしても、幸いに他の方とけんかしたとかでなくてよかたとつくづく思う。
小雨の中、テントを片付け、身支度をし出発した。一番楽だと言われる高千穂町の五ヶ所(北谷)からコースである。最初は、雨の中をひたすらの登りであった。昨日からの雨で道はぬかるみ、滑りやすくなっていた。なんとなくこのことを予想して準備した2本杖は有効であった。四合目半を過ぎたあたりから緩やかな登りとなり、最後九合目からまた急坂となった。
頂上も風雨の中、傘も骨が脱臼や骨折を繰り返し、とうとうお釈迦になってしまった。登ってきた反対斜面をのぞいたら、大変な絶壁となっていた。雨でなかったら、どんな景色が望めたものかと、残念に思う。
下山は風穴コースを下った。後で調べたら、Y氏の地図では、廃道になっていた道で、風穴までは、2mほどの大岩の段差が何回も繰り返す悪路であった。その度に団体登山は渋滞を余儀なくされた。しかし、またこんな悪路は一人で下るのは危険であり、団体で良かったとも思う。大怪我ではないにしろ捻挫や転倒をしかねない道であった。良かったことは、登りのコースと違ってあけぼのツツジが見頃で、中にはあけぼのツツジの大木があったりしたことである。だが、大木のつつじは空の色が青でないため良い写真が撮れなかった。
この風穴コースの風穴(フーケツ、不潔?)はどうってことない岩であった。
続いて,笹薮の道が1.5キロメートルほど続いた。まっすぐに伸びた笹薮のトンネルのような道である。眼のあたりに、葉があたって歩きにくい。このあたりからだんだん道はよくなっていったが、代わって難敵が現れた、大きな見たこともないミミズである。これが、いたるところに這い出てきていた。しかも、動きが蛇のように横ににょろにょろ体をくねらせ、ミミズのように伸縮もして動きが速い。長さも50センチメートル近くもある。しかも、色が真青ときている。いつでもこんなにたくさんいるわけではなく、昨日今日の雨が嬉しくて、這い出てきたのであろう。思わず、ストックの先に触れただけで、ぞうっとしたり、踏みつけないようにと神経をとがらして歩いた。写す私も気持ち悪くて、手が震えたせいかちょっと写りが悪いけれども。
このばけものミミズのせいで、仲間の歩調も速くなっていたように思う。急ぐ山行でもないのにと思いながら・・・。かといって何の楽しみもないのでガンバッテついて歩いた。昨日の登山者が面白味のない山といった言葉に納得した。苦渋の登山となった。この調子では、もちろん、田中澄江の「花の百名山」には選ばれていないだろうと思ったが、家に帰って朝日新聞社版の、今年3月から売り出したビジュアル「花の百名山」を見たらこの後のシリーズに配本される予定になっていた。どんな花が紹介されるか楽しみと言うか気にかかる。
今日の温泉は、九重の国民宿舎、大きくきれいな建物であった。しかし、食事は、宿泊客だけに限るとのこと、食事と湯は一緒が良い所にしたいと思ったが、体が冷え込んでいたのと、車をちょっと離れた下の駐車場においてきていたので、とりあえず、お風呂だけ入って体を温めることとなった。お風呂はややぬるめで、こんなときにはなかなか温まらずイライラした。国民宿舎のばかやろう。入浴と食事は一緒に認めやがれ。お風呂の温度をもっと上げやがれ。雨に2晩たたかれたので、バンガローの利用か国民宿舎宿泊¥8000にしたいと団体全員一致した思いだったが、ゴールデンウイークの中日、空き部屋はなかった。
ドライブインで昼食。赤川温泉の真ん中を食料買い出しのため、デイリーストアーを探して走り回った。ようやく買い出しに成功。夕方5時、明日の久住山の牧の戸登山口に着く。ここは「やまなみハイウエイ」沿いのである。この晩は、車の騒音とライトの明かりにちょっと悩まされた。昨晩の失敗もあったので、アルコールは缶ビール一杯に控えた。「夕べのことはもう言わないで・・・」とあやまりながら。それにしても、ほとんどの方が60才過ぎなのにお強いなあと感心させられた。
夜7時就寝。深夜1時にトイレに起きた。空気も乾いてきており、今日の晴れが予想でき、うれしくなった。寝直す。
2021年追加
久住山(1787m) トップへ戻る
一語一座=コンクリートがうたれて一般向けに整備されているこの日は子どもの日でもあり、大勢の子どもが両親に連れられて登ってきた。2歳位の子を7歳くらいの兄ちゃんが負ぶっている姿もみられた。常日頃みる山とは異なる高山の雰囲気が好まれるのだろう。
5月5日 16年('04) 登山 久住山(10人) <登り2時間、下り2時間
6:08登山開始〜10:35下山終了 11:03車発〜11:05久住観光ホテル着(入浴は昼食利用者は入浴料無料)13:00発〜3:00天満宮3:50〜16:59大濠公園見学17:59〜18:10博多ラーメン、生ビールと餃子とトンコツラーメンのセット1000円 メンタイコご飯夕食250円、博多ポートタワー(無料)360度の展望、から夕日〜博多港22:00〜カーフエリー泊〜
5月6日直江津港〜19:55巻IC20:00〜20:15家着
左の写真は、大阿蘇を遠望したもの。左の山が根子岳である。大仏様が横たわっている姿だと言う。信心の薄い人には分からないと此村氏が語っていた。
案の状、朝は晴。雨の気配はない。登山の様子は、上の写真を見ていただくだけで、お分かりいただけるだろう。久住の山は言うこと無し。ただ、季節的にはキリシマツツジには早く、他の高山植物も、冬からのお目覚め前といった感じで多くは見られなかった。また、再度、6月頃、いつか、退職後にでも訪ねることとしよう。坊がつる賛歌の歌の通りの景色である。ここで、写真をクリックして歌をお聞き下さい。写真は、由布岳・坊がつる方面である。
下山後のお風呂は、すぐ近くの「久住観光ホテル」を利用した。一番高そうでいて、一番安く、お湯も豊富で良かった。なんと、お食事をとった方は入浴料無料のサービスがついていたのである。
竹田市を通った。ここは竹田の子守り唄の生まれた土地だろうと思っていたが、どうも違うらしい。間違いのないのは、滝廉太郎の「荒城の月」のイメージとなった岡崎城があるところと説明にあった。この一帯は、九重連山であり、爽やかな高原リゾート地であった。そこから、一路、湯布院方向に車を走らせた。トラック運転手の経験のあるS氏によると、ここからは下り坂の連続だという。たしかにこの「やまなみハイウエイ」は緩やかな下り坂が延々と続いていた。
博多まで戻り、大宰府天満宮を見物。ここは梅の木が有名だが、この日は楠の木がちょうど花盛りであった。この木の葉から樟脳を作る話をしたが、この村氏は初耳だった様子なので大濠公園で、その葉をつまんでにおいをかいでもらった。強い樟脳の香りがした。鼻にツーーンとくる香りは間違い無く樟脳そのものであり、ご納得いただけたものと思う。これなら誰でも作れる気がするほどであるが、正確な製法は知らない。
ところで、木の葉はそれぞれにみんな香りをもっているが、私が以前からいい香りだなあと感心しているのは、クロモジの木(タムシバ、コブシ類?)の香りである。これは、皆さんもぜひ嗅いで体験していただきたいところである。ハッカ性のさわやかな香りである。他には、私の子どもの頃、キツネのキンタマという小さな緑色の実をつける木の、その実の香りが好きである。
また、話は変わるが、本や新聞の読書欄でアンニンゴ(うわ墨桜)はおいしいというのを時々目にしていた。一度はその花のつぼみを塩漬けにしたのをいただいたことがあるがあまりおいしくはなかった。それで、自分でも焼酎漬けやを作ったがなんとも上手く行かない。香りも味もまったくダメである。どなたか分かったらお教え願いたい。赤い実を漬けたら、この方は見事に良い色になったが、味のほうは飲まれたものではなかった。今回、花を焼酎に漬けた物を、山に持参し、山ならなんとかイケルのではないかと思ったがやはり飲めるものではなかった。
博多ポートタワー
新潟との違いは、近くに、海山が控えていて高速道路が2重3重折り重なって走っていて、ダイナミックな感じがする。飛行機が5分おきくらいに着陸している。さすが、九州を代表する北の玄関口である。山の中腹でライトが光るのを見つけた。なんだろうとみんなで推測した。結局、M婦人が言った「飛行機に知らせるシグナル」に落ち着いた。飛行機が飛んでくると、光る場所も移動していた。博多上空を旋回して着陸していた。この村氏の言で、夕日の落ちるのを見てからタワーをおりることとなった。夕日の先には、志賀の島が浮かんでいた。ここは、「漢倭那国王」の金印が発掘された場所。日本の国のまほろばの地に沈む夕日を感慨をもって見つめた。
スーパーで10人分の買い出しをして、船旅の食事に備えた。他ではめったに許されないことだが、このフエリーの食堂は、持ちこみ可とされている。
5月6日 フエリーの船中である。朝7時40分頃風呂に入り、昨日買った材料で朝9時から宴会?となった。S氏は新たまねぎやレタスで速成サラダを調理してくれた。一人酒代含めて1000円。波も無く、穏やかな航行日和である。談笑し、11時頃解散。来たときと同様、私は、後尾甲板に横になり、ちょうどよい日差しを楽しんだ。船は若狭湾の沖あたりを航行しているらしい。ケイタイも陸から離れすぎたせいでつながらない。職場では今、仕事の眞最中。自分はほろ酔い気分でここにいる。ズオーーン ズオーーン ズズン ズズン ズボズボ ズボズボ ズホーン ズホーンとエンジン音。今ごろは、船長さんも船長室でうたたねをしているのではなかろうか。
この船は全長192m 幅26m タイタニック号は全長268m幅28m
団体登山もいい。他人の話を吸収できる。他人に助けられる。でも、やはり、俺の好きなのはやはり、一人旅のようだ。
一人旅がいい。テントの中、登山道、いつでも、どこでもおならができる。今回は、失敗続きの旅だった。それも一人なら、こんな恥ずかしい思いもしなくて済ませられる。それに、なんといっても、先頭を歩けるのがいい。次々と展開してくる初めて見る世界、自分にとってはそこは処女地である。初体験の連続である。
次の写真は、博多の大濠公園である。周囲2キロの道は車の乗り入れが禁止されている。
2021年追加