朝日岳(1870m)          トップへ戻る
    一語一座=鳥原小屋までの一気の登りがつらかったが、その後は気持ちの良い尾根歩きができる山。

6月7日  14年(02’)大朝日岳(ちょっと失敗の巻)単独行<登り9時間 下り5時間10分>

   
 前夜、早く寝るつもりが、職場の防火シャッターのトラブルなどで帰宅が遅れ,寝たのは12時を過ぎてしまい、朝5時40分出発となる。7時関川村、霧の赤芝峡、9時上郷ダム。

 峡谷深く、朝日鉱泉着10時。登山開始10時25分となり、朝日鉱泉の管理人の方に「この時間からでは、暑くなるので,10時間もかかるよ。鳥原小屋泊まりが良いでしょう。鳥原まででも4時間から5時間かかりますよ。」と言われ、予定では1日目に頂上に達して大朝日小屋泊まりだったのを急きょ変更した。宿泊の用意はしてあるのだから、どこで泊まるのも変わりはないと考えた。大朝日山頂からの朝日の撮影ができなくなったのが残念・・・、出発の遅れを悔やみながらの登山となる。登山道は急登がほとんどであったが、ブナの林の中の道が続いていたりで快適であった。道々いろんなことを考える。

  俺は山にどうしてこうまでやってくるんだろう。
  
@ 他人様に、俺はこんなにも山に登ったんだぞと自慢したい為か。そうじゃない。いや、そうかも知れない。それ以外には何だろう。

A 山は自分を若がえさせるからだ。この緑あふれる山のすがしい息吹きが、今、山と一体となっている自分の生命の息吹きそのものにも感じられてうれしいからだ。力強く、生きているんだぞという手ごたえがあるからだろう。そうだ。それから、

B 秋の紅葉は、実りを迎えた人生を象徴しているような充実感がある。見事さがある。そうだ。そして、自分もその充実感を共有した思いになるからだ。

C 今日も、ふもとで眺めたこの朝日岳のあんなにも遠い山の頂(上の写真)まで、歩いて登る自分が頼もしく思えるからだ。

 D 登山は、自分で自分を誉めてやれるから登るんだ。自分に自信を得られるのがうれしくてやってくるのだ。そうだそうだ。きっとそうだ。歌になってきたぞ。
 
 (或る日 読んでいた古い山雑誌に、こんな私の思いを代弁してくれる良い文章に出会った)
  (出典、宮川久雄氏、慶応山岳部年報「登高行・山」1920年) 

  途中、下山してきた2人に出会った。今朝、4時に出発し、へとへとの様子。アイゼンもなく雪渓では難儀されたと言う。私がここまで4時間もかかったと聞いて、うんざりされていた。30分で鳥原湿原に着く、管理人さんのおっしゃたとおり、4時間30分かかった。

  鳥原小屋の周辺は小川もあり,眺め良く、小屋の造りもよく快適な夜となりそうだった。雪解けの水が多い小川で、汗をふき、ゆっくり食事をとった後、5時〜7時ひと寝入りした。古寺鉱泉の方からでもだれか登ってくるのではないかと思ったが、結局一人の夜となった。「せきをしても一人」という俳句ではないが、大声で叫んでも一人の寂しい夜となった。お月さんもでてくれない。金曜日に年休とって3連休にしてくるような人はいないようで、ぜいたくな休みをとった自分のわがままをちょっと反省する。
 
  だれもいない時空で、一人思索?にふける。至福の時とはいろいろあろうが、今の、この時もそうであろう。朝日連峰・鳥原小屋・2002年6月7日午後3時52分、快晴。誰もいない。誰も来そうにも無い。ラジオを消して、サントリー角を傾ける。叫んでみた。「ワー」 独り叫びだ。独り言と言えば、ウチの職員にもしょっちゅうしゃべっているのがいる。「次はあれをして・・。○○はどこへしまったんだったかな。この文は間違っているんじゃないかな?・・・」それにしても、周りに誰もいなくなってもやはりあの調子で独り言を言うんだろうか? 
 そういえば、ウチのカミさんもそうだ。周りにだれも居ないのにしゃべっている。たまに早めに帰宅した際、家の中から話し声が聞こえる、誰かお客様でもいらっしゃったのかと思うに靴もない、それなら、電話の子機を持って隣の部屋で話しているのかと思うに、それも違っていた。要するに独りしゃべりだった・・・。なんぞと独りぐちっぽいことを考えた。
 
  朝は、3時15分起床。4時22分出発。鳥原湿原と言われるこの付近は、タムシバの花盛り、1430mの鳥原山からは視界が開けて、小朝日、大朝日岳がでっかい姿を現した。潅木も低くなり、尾根シの明るく開けたシだから、もう熊よけの鈴もいらないし、ラジオも切って、短パンに履き替えて歩こうかと思っていた。 その矢先、ガサッと音がして真っ黒い熊の背中が見えた、3mくらのところであった。肝をつぶした。つぶしたと思った。さいわい心臓はまだ動いていた。あわてて鈴を付け直した。しっかりと。鈴は私はストックのところにつけている。身体の中で一番動くのは手首のあたりで、ストックにあたっても鈴が鳴るからだ。

 いったん50mくら下って鞍部(5:42 1365m)におりてから小朝日に登り始める。
 
 途中、この左の動く写真の通りの事故に遭遇した。
 いよいよ雪渓が道を遮っている場所にきたので、4本歯のアイゼンを装着して早朝の硬くなった雪を削りながら慎重に歩き出したのであるが、その直後に滑った。わずかな高さであり、もし滑ってもすぐ下のブッシュで止まるだろうと思っていたのが油断であった。尻スキーの体勢で滑った。すぐ下の竹の生えているところで止まれるだろうと思ったら、そこを簡単に突破して,その下の雪渓にまで乗ってしまった。これは大変と精一杯杖を突いた。すぐには止まらない。下の竹やぶが見えるがその下のことはどうなっているのか分からない。俺は必死でもうストックを一二度ついたら、止まってくれた。しかし、その勢いで帽子はもっと下の方までとんでいってしまった。
 
 あの下の竹やぶまで滑っていたら、怪我の1,2つはあっただろうなあと思ってぞっとした。幸いにかすり傷一つなかったので,気持ちが落ち着いてから、今度は慎重に足場をかためながら帽子を拾いに下り、そして、登った。やっと元も道のところまでたどりついたと思ったら竹やぶの竹の枝がはねて、愛用の野球帽をまた下の方に飛ばしてしまった。再び元の位置に戻り、さてあのオールジャパンの青帽子どうしたものやらと思案した。このまま捨てても、頭はバンダナで済ませられるから良いが、帽子をみすみす打ち捨てて行くのは自分の分身を捨てていくようでかわいそうに思えた。しっかりと住所名前電話番号も書いてある帽子だ。そう思って、荷物を降ろして再び下って、戻った。

 ここでの反省点は滑っても高さはないし,すぐ下で止まるだろうと思って足場をしっかりと削らないまま体重をかけて滑ってしまった油断。注意、油断大敵。この時期の朝日連峰クラスの山には、6本歯以上のアイゼンが必要だということである。帽子は細い紐で結び(キャップ・ガード)、風で飛ばされて大丈夫のようにしたほうが良い。さっそく購入した。

  次に、悩まされたのは、ブヨの大群である。朝早かったが、太陽はすでにしっかり顔を出している。どちらかというと私の体より荷物に群がっていた。山育ちだから、虫よけスプレーなんぞいらないよと思っていたが、今回はそんなばかげた誇りはかなぐり捨てようと思わされた。あとで考えると、このブヨ襲来は小朝日岳の登山道がだけだったようだ。

 小朝日岳の山頂からは朝日連峰が手にとるようによく見えた。(一番上の右の写真) これから行く大朝日岳への鞍部がずっと200m近くも下らなければならないことも・・・。
 
 銀玉水の水が美味しいと、いろんなホームページに紹介されていたので楽しみにしていたが,今回はまだ雪が多く、他の雪解け水とあまり変わらなかったが、冷たさだけでも美味しいさいっぱいだった。
 
 そこからが今度は100m以上続く急な雪渓であった。アイゼンを再びつけて、慎重に登った。さっきの経験から一度滑りだしたら止まることは無理なんだと肝に銘じることができたので、無頓着の私もさすが今度は一歩一歩慎重に登った。まっすぐには雪が硬くて登りにくいので斜め斜めに登った。ラジオでは、囲碁の話をしていた。趣味の囲碁のことだけによく覚えているものである。囲碁は昔、中国で天界の占いの一つとして産まれた。4隅は春夏秋冬を表しているとのこと。日本に伝わった囲碁は、平安時代には賭け事遊びに使われ、戦国時代からは特に盛んになり、戦国武将の棋譜は今もたくさん残っているとのこと。信長は天下を統一して京に入った後、囲碁の大会を開き、初代本因坊(サンサ)を決めたとのこと。この信長は光秀にどうしても勝てずに、それが悔しくて、あるとき、初代本因坊をよび、自分が良くない手を打ちそうになると、扇子でそれを知らせていたが、それに気づいた光秀がその扇子を自分が借りてしまい、勝ったとかいうお話であった。その後、他の本を読んでいたら、本能寺の変の前夜、この本因坊が本能寺で囲碁を打っていたら、不吉な前兆である三コウができ、碁をや


 やっと、着いた。(8:50)大朝日小屋。無人ではあるが大変綺麗な山小屋である。ここでゆっくり食事をしていると、結構、登山者がやってきた。龍門岳方面から、あるいは古寺鉱泉、日暮れ沢から、あるいは小国の方からと登山道が多いせいであろう。1時間近く頂上付近にとどまっている間に、8人ほどの人と会った。
 頂上付近は山桜の真っ盛り(写真)であった。 ハクサンイチゲも咲いていた。ヒメサユリを期待して来たのであるが、ちょっと早すぎたようで、帰宅後写真集を調べると7月上旬とあった。下調べの不足である。
 



 9:50、下山開始。下山は一気に下った。沢まで4k約2時間、沢の出会いから4k約3時間である。下り道では、木陰が無いので、暑さに苦しめられた。長命清水からは林に入ったが登山者の少ない急な林道は、何とあの落ち葉に苦しめられた。かさこそと音もして風情のある落ち葉の山道のはずだが、登山者が少なく、連日の晴天続きでかさかさに乾いた落ち葉は結構ズルツと滑るのである。沢沿いの道も長かった。途中3本の釣り橋を渡り、最後に朝日鉱泉の4本目の釣り橋を渡ってゴールした。土曜日だから登山者もいるかと思いきや、登山者とは一人も会わずに朝日鉱泉まで降りた。駐車場着15:10  

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